物を書くということ

それは別にしっかりとした文章である必要はない。140字にも満たない、ほんの数文字だとしても、それを意味を持った言葉として形を伴い出力し、あまつさえネットに公開するというプロセスを経た時点で、その文字には「責任」が生まれる。

おそらくこの部分を理解していない人間が多いのだろう。抗う術を持たぬうちに情報の濁流に放流され、結果としてマスメディアやインフルエンサーの掌の上で無様に踊り続ける。一次ソースの確認すらもできずに、悪意的な印象操作のための切り抜きを信じ込み、それどころか記事の内容すらも読まずに見出しで自己完結し、醜く暴論を撒き散らす無責任の獣。

 

一億総発信時代。

取るに足らない、なんの知識や経験の裏付けもない批評家もどきの感情的で無価値なレビューが持て囃される時代。

他者からの受け売りで自分を飾り、他人の評価に同調することで自分を守った気になり、自分の意見など欠片も残っちゃいないからっぽの言葉。

大事なのはどれだけ自分が守れるか、どれだけ自分が注目されるか。その過程や方法などなんだって構わない。結果がすべて。形として残らないものに価値はない。それが正義だ。