面白み

僕はなにかの創作について感想を述べる際、「駄作」という言葉は極略つかわないようにしている。この単語に含まれている悪意や害意、敵意、そんな負の印象がとても強いから。

「つまらない」のではなく「自分には合わない、わからない」と置き換えて考える。全ての人間にハマるものなんてありえない。その上でなにが面白いのか、なにが自分には面白くないのかを考えてみる。

 

その上で僕が一番「つまらない」がきわだつものはなにか、どんな媒体か、考えたときそれは「文字の塊」だった。面白いか面白くないか、その誤魔化しが効かない、効きにくいもの。

「画」があるものは強い。視覚的に訴えかけられるということは、それだけである種の説得力になる。もちろんそれに足を引っ張られ、逆に説得力がなくなっていることもあるが。

文字で遊べないことは決してない。例えば大きくしてみたり太くしてみたり色を変えてみたり......やりようはいくらでもある。

それはそれとして、「読者に文字だけで想像させる」という都合上、どうしてもそこでつまづきが起こる。要するに「読者に伝えたい内容と全く違う印象に取られる」。これは昨今のインターネットの拡がりで問題にあがることも多くなってきた内容だろう。結局はメールよりも直接に会話した方がいいケースも多々ある。

 

最初の話に戻ると、「駄作」という単語について。

僕はこの単語の印象を「10/100点前後」と見る。だが人によっては「50/100点」程度で使っているかもしれない。言葉ひとつとっても印象は大きく違う。悪口だって「馬鹿」「死ね」「殺す」なんて、使うことすら許せない人間もいる。

そんなものだ。

 

だから面白いし、だからつまらない。人によって受け取り方も様々で、限界もあって、その上で想いを乗せて吐き出すために「文字」はある。他人の感情なんて知る意味もないし、それは自分自身にしかわからない価値でしかない。

想像の余地が多分に残されているからこそ、自分の中で理解し、咀嚼して、残るのだろう。