他人の日記なんて見るものじゃないよね、という話

眠れないので軽く。

 

例えばこのブログもそうだけど、平々凡々とただ無心に生きている中に他人の人生に関わるようなことも、ここに書き留めておくような面白いこともあるわけがなくて、それじゃあここに価値がないのかと言われると少なくとも私にとってはきっとそうじゃないんだと思う。執着するほどの理由があるわけでもないけれど、心の中を吐き出すために機能する場所というものは決して無価値にはならなくて、けれどそれは他人から見たら全く心に響かない、何も想起させないもの。

結局は「事実」なんてものこの世には溢れていて、その中で最も認識されて大勢に支持されたものが「真実」として歴史に残る。なにが言いたいかというと、このブログに書かれたことは私の目を通した「真実」であって、その「真実」はきっと歪んでいる。それはもちろんどんな人間が書いた、語った言葉であっても何らかのバイアスがかかった「真実」であることは間違いない。

認識と支持。それを得たものだけが他人の心の中に残る「真実」になる。つまりはそれがなければ所詮はただの独り言にすぎなくて、誰からも見向きもされず、気まぐれに目を通した誰かの頭にも残らずにすり抜けていくだけのもの。

それでもここには私がいる。私が認識して、私が支持している。もちろんそれに力なんてないけれど、それだけで存在することはできる。

 

電子の海の中に漂ったこの散文はきっとどこにも辿り着くことがなく霧散するだろうけれど、それでも書いた私の中でだけは「真実」になり得るんだ、だから他人に求められなくてもここは存在するんだ、という話でした。

 

 

ちゃんと読み返しながら文章書かないとこうなるという典型的な事例