飽き性

昔からずっと飽き性だった。収集癖だとか集中力が散漫だとか、結局のとこ根っこを探れば飽き性に行き着く。
乱読で数ページ読めば耐えられずに次の本を触る。映像もすぐに巻き戻す。手元がすけば落ち着かない。
どれだけ好きな作品でも基本積極的に2回以上触れない。触れられない。それよりも次を欲する現代社会の消費者精神。
浅く、広く、薄く。スキルツリーを極めず中途半端で次のジョブに転職するが如く。
友人関係は3年より長く保った試しがない。いつも気がついたらいなくなるか、もはや自分から縁を切る。気の置けない親友など幻想だ。
所有の安心感とはつまりいつでも自分のペースに持ち込める優越感ともとれる。飽き性は流されてしまえば何もできない。流されるがままにどこかの側へと漂着するのみ。
情報に飲まれているのは楽だ。ただただ目を侵し耳を犯す雑言雑音へと理解をシャットアウトして塗れて汚れて腐り切ればいい。自分で思考する必要すらない。他人の思考をインプットすればそれは自分の感性だ。
知識欲に溺れ、知ることが目的になり、それから先に進まず、ただ一人で自己完結する。アウトプットもなく、詰め込み満足するだけでいつか破裂し崩壊するだけ。





でも炒飯は3ヶ月ずっと作ってる。

あと今の世の中で殴っていいのは「自分が気に食わない理解できないものを浅いだの薄っぺらだの下劣だのとsageることでしか好きなものをageられない、自分が好きなものが嫌いな人間を高尚なものを理解できない無教養な愚物としかみられない味方からも疎まれる可哀想なタイプの無能な働き者」と「自分じゃなんもしてないくせに他人の権威を笠に着て勝ち馬に乗って誇らしげに勝利宣言する他がなにもみえていない盲目な馬鹿」と「ろくに数知りもしないくせに上辺だけで『最近の〇〇は〜』だの『これだから邦画は〜』だの、観てもいない実写版デビルマンをその名前を出せばなんとなく『私わかってますよ感』が出るというだけでどんな時でも引き合いに出してくるクソ映画のクの字もわからないのになんとなく知ったような口をきく自称有識者(笑)」だけですから気をつけましょうね。何にでも噛み付く狂犬スタイルは令和では受け入れられない。